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ゴールズボロー (USS Goldsborough, DDG-20) は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦の19番艦。艦名はルイス・M・ゴールズボロー海軍少将に因む。その名を持つ艦としては3隻目。 ==艦歴== ゴールズボローは1961年1月3日にワシントン州シアトルのピュージェット・サウンド・ブリッジ・アンド・ドライドック社で起工する。1961年12月15日にネバダ州選出上院議員、アラン・バイブルの夫人によって命名、進水し、1963年11月9日に艦長チャールズ・D・アレン・ジュニア大佐の指揮下就役した。 ゴールズボローは1963年12月25日に太平洋艦隊に加わり、真珠湾を母港とする巡洋艦駆逐艦戦隊に所属した。 ピュージェット・サウンドでの公試後、ゴールズボローは1964年2月14日に真珠湾に到着した。受領後の試験の後、4月18日にオーストラリアのシドニーに向けて出航、珊瑚海海戦の記念式典に参加し、6月1日に真珠湾に帰還した。その年の夏から秋にかけてハワイ海域での作戦活動に従事し、11月23日に横須賀に向けて出航、最初の西太平洋配備に就く。ベトナム戦争が拡大し、第7艦隊強化のための作戦活動に従事後、ゴールズボローは真珠湾に帰還し、対潜水艦戦訓練を行う。 1966年2月9日、第7艦隊援護のため再び東洋に向けて出航する。4月には「ビン・フー I」作戦に参加し、地上部隊支援のための艦砲射撃で594発の5インチ砲弾をベトコンの拠点および建造物に向けて発射した。その月の後半にはヤンキー・ステーションで空母護衛任務に就く。5月にはSEATOの演習に参加し、翌6月には香港でステーション艦の任務を担当した。6月26日、再びベトナム沖に赴きレーダーピケット艦任務に従事する。7月16日にハワイに向けて出航、23日に真珠湾に到着した。 一ヶ月後、ゴールズボローは真珠湾海軍造船所に入渠し、オーバーホールおよび広範囲改修が行われた。任務に復帰したのは1967年のことであった。 1986年1月、海軍作戦部長のジェームズ・ワトキンス提督が艦を訪問した。彼は1964年に自らの潜水艦、スヌーク (''USS Snook, SSN-592'') の潜望鏡から目撃したゴールズボローを「ゴールズボローは当時恐るべき様に見え、現在も恐るべき軍艦だ。」と語った。 ゴールズボローは1993年4月29日に退役し、同日除籍された。1993年9月17日に船体部分がオーストラリアに売却された。全ての使用可能な機材が取り外された後、船体はインドに牽引され、そこで解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴールズボロー (ミサイル駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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